いま(いま)

わーかれーのときー
飛び立とうー(飛び立とう)
未来信じて♪


そんな旅立ちの日が近づいている僕の名前は。植西です。






卒業。ということで、最後に少し僕の話でもしようかなと思う。
長くなりそうだが、気にしない。
それくらいホッケー部での四年間は密度が濃かったのかもしれない。






振り返ればこの四年間。ホッケー部での思い出は、どれも楽しいものばかりでした。






…といえば、嘘になる。






まあ。合宿での共同生活や、練習後の昼御飯、車での移動時間なんかは楽しかった。
少し思い出してみよう。






小川う○こ事件
平山キャプテン、練習試合に遅刻事件
文元、公式戦に遅刻、そしてシューズ忘れ事件
たったさん全裸でUNO事件






…など。どれも不愉快なものばかり。
卒業を期に、忘れようと思う。






それはともかくとして。ホッケーそのものの思い出となると大変なことばっかりだった。






一回生で入部した。当時の市大は二部優勝チームということもあり、先輩たちとの技術力の差は果てしなかった。
それでも先輩たちは、なかなか上達しない僕に付きっきりで指導してくれた。
勝負すれば完敗だったが、土屋さんや小出さんたちと一緒に練習したことは大きな財産となった。
いつも丁寧に教えてくれたし、何よりも公式戦で戦う相手に先輩たち以上の選手はいなかった(あくまでも俺の感想)から自信になった。
思えばこのころが一番楽しくホッケーしてたのかもしれない。






二回生になると、試合に出るようになった。
しかし、入部当初10人いた同級生は3人にまで減り、一個上のプレイヤーは1人、一個下は2人だけという、
そもそも11人揃った試合すらも難しい状況にまで追い込まれた。
この時期から「辞めたい」と思うようになり、「いつごろ辞めたらすんなり抜けられるだろうか」と常に考えていた。






そして、気づけばキャプテンになった。
当時のプレイヤーは8人だけだった。
廃部寸前の部活のキャプテンとなった俺の目標は「チームを変える」ことだった。
もう辞めるとか言ってられない。






しかし、8人じゃ試合に出られないから、どうしていけばいいのか分からない。
練習したところで…。という気持ちがなかなか拭えない。
すなわち、メタルキングを100匹倒しても、
ダイジョーブ博士の手術が成功しても、試合に出られなくちゃ意味ないのだ。






春になり、何とかたくさんの新入生を入れることに成功した。
…が、人が増えると今度は自分のキャプテンとしての無能さに苦しんだ。
「人数さえいれば何とかなる」とキャプテン就任当初から思っていたが、
そんなこともなく、自分の能力の無さを思い知らされた。






そんな俺が唯一できることは、「全力で部活をすること」だけだった。
部活に関係する全ての行動に神経を注いだ。






練習中の士気が下がっていると感じたならば、すぐに声を出した。このときどう声を出せばいいのか常に考えていた。

遅刻すれば発言力が失われると思い、遅刻癖を治した(治っていたのかなあ)

私情で休んでほしくなかったから、俺は絶対に休まないようにした。

他人に嫌われることを覚悟で偉そうなことも言った。






などなど。これはほんの一部だが。少しでも妥協したならば、それが敗因になるかもしれないと思い、常にピリピリと行動した。






そう考えていくと、
パススピードはこのままでいいのか、とか
ルーズボールの食い付きが悪くないだろうか、とか
腰が少し高いのではないか、とか自分も含めたみんなの全てのプレーが気になりだした。






まあ。今となっては俺がどんだけ頑張れてたのかは知らんが、あのころは本当に大変だった。
よく「楽しみながらするのが一番」とか言うが、俺は勝つためにどんだけ神経を削れるのかということに集中していた。
不器用だったから、素直に楽しかったという記憶はない。






俺は自分の能力の無さも、新入生ばかりのチームの弱さも感じていた。
別に「負けたけど、植西はよう頑張った」と言われるために努力してたんじゃない。
何もない自分たちだからこそ、相手チームの何倍も努力して、血反吐がでるくらい追い込まれなきゃ勝てるわけがないと思っていた。






…とまあ。ここまで新入生がドン引きするくらい、おれ大変だったよアピールをしてきたわけだが、
悔しいことに、卒業を迎えた俺の頭に蘇るのはホッケーの思い出ばかりだった。
それも、なぜかいい思い出として(決して学部に友達がいないわけではない)。






ちなみに、この時点ですでにブログが長くなっているのには薄々気付いているが、
気にしたら負けだと思っている。






・・・






俺には、元来サボり癖がある。
テスト勉強はある程度までやるともういいやと思い最後のページまでやらないし、
マラソン大会はある程度順位が決まるともういいやってなって歩き出す。






ホッケー部において俺の「もういいや病」が発動しなかったのは、
やっぱり1人じゃなかったからなのだと思う。






月並みな言葉で自分でも書いてて恥ずかしいのだが、その通りなのだから仕方がない。






二回生のときなぜ辞めなかったのか。






自分よりも頑張っている先輩に「どうしようもないチーム状況なんで辞めます」とは言えなかった。






俺は平山キャプテンとは真逆の考え方だった。
平山くんのキャプテンとしてのほんとんどの判断に対して、よく意見が衝突した。






それでも、平山くんについてこうと思ったのは、俺なんかよりも努力してたからだと思う。
商学部でマネジメントとかよく習うけど、
そんな理屈じゃなくて、この人のために頑張らなくちゃと思わされた。
だから、「もういいや」と思って辞めることはなかった。






キャプテン時代に嬉しかったことは、なんだかんだでみんな俺の判断に従ってくれたこと。
試合のスタメンとかは俺の独断でその日の朝に発表してたが、
どんなに負けが続いても、前日に俺の采配批判があっても、最終的には俺の判断を信じて試合に臨んでくれた(内心どう思ってたのかは知らん)。






じゃあ。俺の無能さが原因で負けるわけにはいかんよなと思えた。






めんどくさいことを押し付けてる同回生のためにも、
ついてきてくれる後輩のためにも、
負け続けても応援してくれるマネージャーのためにも、
休みや給料を削って支援して下さるOBOGさんのためにも、
お世話になった先輩のためにも、
逃げたらあかんなーと。






確かに、いい結果が出るかは分からん。時の運もある。
でも、100%の努力はしなあかん。99%の努力をして、残り1%が原因で負けたら悔いが残る。
キャプテンとしてそんなことは許されん。






だから、俺は頑張ろうと思えた。






…未だに名大戦の勝利の味は覚えている。
あの日、俺はゴールにも絡んでないし、ディフェンスで活躍した記憶もない。むしろ、失点の原因は俺だった。まさしく、試合に勝たしてもらったという状況。






なのに、俺の気持ちは最高やった。
あの日以上の日に、あと人生で何回出会えるだろうと考えると本当に感謝しかありません。






たくさんの人のおかげで、自分一人じゃ諦めるような高い壁を乗り越えられたのだから、
そりゃあ。卒業のときに、真っ先に部活を思い出したのかもしれん。






…、そういえば、バスケ部だった高校時代。最後の試合に負けて、みんなで泣いていた。
ホッケー部に入ってからも、悔しくて、情けなくて、二度人前で涙を流した(あまり思い出したくない)。






でも、大学では最後の試合に勝ったから、泣いた。
卒業のときにチームメイトから「ありがとう」と言われると、涙が流れてきた。
最後に流した涙は、悔しさからくるものじゃなかった。






本当に俺は幸せ者やと思う。
どの卒業生よりも幸せな自信がある。






だから、みなさん、今までありがとうございました。

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あの日の勝利は忘れられないですね。今でも痺れます。また遊びましょ!
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ocuhockey

Author:ocuhockey
大阪市大ホッケー部
その部員たちの日常が
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悪ふざけ 7 近況報告 3

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記事とコメントに散りばめられた
虚構と真実の織り成す
水色ホッケー戦士達の冒険譚である。

筆者たち
0~9の数字を司る部員たち

0 みずえる DT 3
1 なみへー MG 2
2 まな   MG 2
3 みさき  MG 2 
4 おの   MG 3
5 かんざき GK 2
6 ふみもん FW 2
7 えきもと FW 2
8 まいさん MG 2
9 うえにし αB2

なんか十刃みたいでかっこいいな。古いとか言うな。
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